大切なものを失うこわさ

saekiemi2013-04-18


別にまだ失っていないですが、最近よく考えるので書き留めておきます。


ええと、今の私は結婚をして、有り難い事に元気な子どもも授かって、家族三人で慎ましやかに(笑)幸せに暮らしています。


子どもというのは信じられないほどに無条件に可愛いものです。


私はこれまでとても自由に人生を謳歌して生きてきたし、だいたい何でもやりたいようにやってきたし、だいたい望むものを手に入れ、望むことをやってこれたと思います。
特に社会人になってからの人生の自由気ままさと言ったら。
お金は驚くほど持ってなかったけど(転職前は年収260万だった)、まぁ好き勝手やってました。
もちろん、その代償として周囲の人間を時に傷つけながら。
でも、自分が一番可愛いからね、自分の欲求・意志のためには、周囲の犠牲も厭わない、と言うか、やむを得ない・致し方ないと思っていた。
良く言えば強かった。
良く言わなければ傲慢だったわけだ。


で、まあおおむね人生は好きに楽しんだから、結婚しようと思える素地が整いました。
悔いはまあ、ないかなと。
で、結婚した。で、妊娠して出産した。


そしたらまあ世界はグルングルンに大転回しました。
今まで私が思っていた「人生、だいたい楽しい事は一通り経験できたっぽいな」という感覚は完全に吹き飛び消え。


まさか、まさかこんな一大イベントを、私は、全くの未経験のままそっくり手つかずで残していたのか!


予測もしない展開に自分でも驚きました。信じられない。


何となく子どもは欲しいなと思っていたし、子どもを持つ親たちの幸せそうな様子もちらほらと見聞きしているし、元々ポジティブには捉えていたけど。
でもせいぜい「人生のオプション」程度にしか考えていなかったんでしょうね。
なけりゃないでいいけど、あればもっと楽しめるよ、的な。


違いましたね。
なけりゃないで人生を楽しめるのは間違いない。そこは否定しない。
でも、子どもがいる人生、これを知るとね。
人生が豊かになるとか、そういうレベルではない。
違う世界にワープしてきたような気持ち。
空気や水のように、それは「なければいけない」レベルの存在になる。
この感情を何かに例えるのは本当に難しいけれど、
ものすごく面白い小説と、ものすごく気分の上がる音楽と、ものすごく美味しいごはんに大量に囲まれているような感じ。
毎日どれでも選び放題。毎日新たな発見と喜び。
そしてそれらは尽きる事がない。


そしてその素晴らしき世界に招かれてしまった今、私は、元の世界に戻ることはもう出来ないだろうと思います。
もし、子どもが事故にでも遭って死んでしまったら、そんな貧しく虚ろな世界で生きていける気がしない。


無邪気に笑いながら私にすがり付いてくる子どもを見ていると、時折悲しくてたまらなくなります。
「これはいつか失うものなんだ」という事実に対峙せざるを得ないからです。


昔の私は、恋人や友人を失うことを恐れなかった。
別れは悲しいし辛いけれど、それは仕方ない事でもあると、ある意味割り切れていたからです。
でも今は失うのが怖くてたまりません。


そして、それでもなお、それはいつか失われるという事実がそこにあることが、悲しくてたまらない。


ここで私が感じている「失う」という感覚は、子どもの存在自体ではなくて、「今ここにある幸せ」という、もう少し漠然としたものに対する感覚です。
今の私は、どう考えても「いちばん幸せ」なところにいる。
(幸せという曖昧な価値観に「いちばん」という表現は不適切とは分かっているけど、それでもあえて)
そしたら、それはもう、後は落ちるしかないじゃないか。
何かが未来永劫続くということはない。平家物語だって言ってるし。



私はこれまで何度も言ってきたように、生まれてからこのかたずっと幸せでした。
いつでもハッピーでラッキーな人生を歩んできた。
それがいつか失われるかも知れないとか、考えた事もなかったんです。


でも今は怖い。子どもを失う事が、旦那さんを失う事が、この光に満ちあふれた人生を失う事が怖いです。

いつかうしなう怖さを知ってく そして守れる強さをほしがる
 -鈴木亜美「ねがいごと」

だから、強くならないといけないんだね。