最後の思い出

ノブさんの式に出て来ました。


木曜・金曜と仕事を休んで石川県は輪島まで向かいましたが、片道8時間電車&駅からバス乗り継ぎで1時間半かかる(しかも日中の10便くらいしかないので夜は乗れない)田舎のため、お通夜の出席は諦めて、終着駅周辺で一晩過ごし翌朝バスに乗って告別式だけ参列することにしようと思い、その旨をノブさんの弟に連絡したら、駅周りには何もないから今から宿探すなんて無理だと言われて、わざわざノブさんのお父さんの知り合いの方が片道1時間かかる駅まで車で迎えに来てくださいました。


真っ暗な田舎道を走り、田んぼを抜けると懐かしい集落に着き、ノブさんの実家の立派な日本家屋がひっそり明かりを洩らしていました。
集落に入る直前に「垣久保伸洋 式場」と書かれた案内の看板が立っていて、ずっと夢の中にいるようだった長旅の意味を知らされた感じがしました。
家のすぐそばにある古いお寺が式場になっているという事だったので、そちらへ向かったのですが、お寺はいっぱいの献花で飾られていました。
迎えに来てくださった方の話では、こんな田舎にも関わらずお通夜にはかなりの数の人が訪れたという事でした。


お寺の広間には親族一同が大勢集まっていました。
明らかに場違いな私を快く迎え入れてくれました。
しばらくみんなで騒いでいたのですが、ノブさんの伯母さんが、祭壇の下に納められたノブさんのことを「こんなとこに閉じ込めたら可哀想や」と言い、棺を外に出すことになりました。


半年ぶりに見るノブさんは、交通事故のせいで顔が少し腫れていて、顔以外はぴったり布で覆われているせいで、何だか作り物のようでした。
遺影の方はいっぱいに笑ったあのいつもの笑顔だったから余計に、遺体(と書くのも不自然な気がします。「ノブさんの遺体」ってどういう意味なのか、現実的な感覚として理解できません)とは別に、実体がどこかにあるような感じでした。

ノブさんのいつもの寝顔はもっと平然としていて、それこそ死んじゃったみたいな寝顔だったんです。


私が離れて一人で泣いていると、弟くんとその彼女が来てくれて、三人で話をしました。
弟くんは私が出会う前のちょっとチャラチャラしてた頃のノブさんにそっくりで、涙をこらえる時に見せる女の子みたいな上目遣いまで同じでした。
弟くんにも、ご両親にも、親族の皆さんにも、かける言葉は何もなくて、ただありがとうございますと繰り返してばっかりでした。



その日は弟くんの彼女と実家で一緒に寝て、翌朝は早くに起きてお寺で朝食をいただき、式に参列しました。
地域性か宗派の違いかは分かりませんが、私の知ってる式とは大分違っていて、祭壇の周りに10人近くのお坊さんが座り、長い長いお経を上げました。
途中のお坊さんの衣装替え休みにはおにぎりや煮しめが振る舞われたりと、地域の繋がりの強さを感じました。
東京で生きていたノブさんにも、この地に生まれ育ったというルーツがきっちりと刻みこまれていることを感じました。


3時間ほどで式が終わり、同級生達にかつがれて出棺。親族の他にも大勢で火葬場へ向かいました。
棺を開けてお花を入れる時、失礼だとは思いながらも、ノブさんの左足に触れました。
厚みと存在感のあるノブさんがそこにはいました。
だけどやっぱり、それはノブさんじゃないみたいでした。
余りにも現実味がありませんでした。


荼毘に付する時には、お母さんがいや、いや、と泣き叫ぶのを、一生懸命弟くんが支えていました。
あんなに家族思いで心配性だったくせに一番先に逝くなんて、どんだけバカなんだよ、この親不孝者!
お母さんこんなに泣かせてどうするんだよ!
と心の中でずっと叫んでいました。
家族思いのノブさんが私は本当に大好きで尊敬していたんです。
だけど、きっと一番悔しいのは本人なんだと思う…


精進料理をいただいた後、お父さんが私を呼んでくれて、お母さんと三人で少し話をしました。
来てくれてありがとう、アイツまださえちゃんに未練あったみたいやしな、まぁお互い色々あったと思うけど、最後に会いに来てくれてノブも喜んどるわ、と言ってくれました。
さえちゃんはノブの分も幸せになれよ、ノブのこと忘れんでやってくれよ、と言われて、ただ、はい、としか言えず、ご両親の前で泣いてしまいました。




お骨をひらう時には、ノブさんが白い灰になってしまったことと、はっきりと頭に描くことができる元気で明るいノブさんの記憶とが、二重の現実みたいに思えました。
こんなに立派な式を挙げて、たくさんの人が悲しんでいるのに、「ノブさんはまだ確実に生きている」、という確信のようなものはなくならないんです。
じゃなかったら、みんなの記憶にくっきりと残る、あの人なつっこい笑顔の彼は一体何なんでしょうか?



自宅に戻り、最後のお経と焼香を上げてすべて終わったのは5時過ぎでした。
親族の皆さんやノブさんの友達にお礼とお別れを告げて、ノブさんのはとこの女の子が金沢まで車で帰るのに便乗させてもらいました。
二人で、仕事や恋愛の話を語り続けてると、金沢までの2時間あっという間でした。
いつかまた会えるといいね、と言ってお別れをしました。




皆さんが、部外者の私をいやな顔もせず迎えてくれたことに、本当に感謝しています。
最後まで迷惑をかけ通しで、何も恩返ししないままになってしまいました。
ありがとうございました。







そしてノブさん。


半年前に会った時も、私の誕生日にくれたメールにも、10日ほど前にたまたまやり取りしたメールにも、変わらず私を想っていると伝えてくれました。
結局私は、ノブさんと結婚し一生を共にする事はできないと悟って、別れを告げてしまいました。


10日前のメールにノブさんが書いていたように、私も、二人の関係を美化して自分の都合のいい思い出に書きかえるつもりはありません。
私もひどい事をたくさんしたし、ノブさんも悪いとこやダメなとこはいっぱいあったよ。




だけどあなたはもう死んでしまったから、もう二度と会えないから、せめて私はあなたが教えてくれた色々な事と、二年半の思い出と、その笑顔を心にとどめておきます。



別れても、離れても、どこかでその人が生きているという、その事だけでそれは大きな意味を持つんだ、と知りました。
会えないとか、何をしてるか分からないとか、そんなのは取るに足らない些細なことであって、
ただ、その人がこの世に存在しているってこと、
この地球上のどこかでその人生を生きているってこと、
その事実さえあれば、最終的に救われる。
ただ、それだけでよかったんだ。



喪われて初めて、そのことに気付きました。
あまりにもあっけなくて、単純なことだったけど・・・



今日でとりあえずの心のけりをつけるつもりだったけど、まだ時間はかかりそうです。
でも一つ大切な事を学んだから、今はそれでいいんだと思っています。



ノブさん、お休みなさい。








長文のお付き合いありがとうございました。