元彼(と呼んでいいと思われる人)と14年ぶりに会った。

今日、元彼かも知れなかった人と十数年ぶりに会った。
私のコア時代を全く知らない相手に向かって自分のこれまでを説明するという行為を通じて気づいたのは、私は実はこれまで結構辛く困難多くアンハッピーな人生を歩んでいたのかも知れないという仮説である。


かねてから言いまくってるように私は生まれてこの方自分を不幸とか大変とか思ったことがない。
生きていくのに必要十分な資質を与えられたし、家族には恵まれてるし、環境も申し分ないし、なんか何でも上手く行くし、嫌な事も辛い事も大したレベルではなく、とにかく恵まれていて超幸せな人生だったと思っている。


しかし今日彼に14歳から28歳までの自分の半生を説明してみたところ、
「随分大変やったな」
「でも今はこれまでの分を取り返すくらい幸せって事で、やっとお前の番が回ってきたって事なんちゃうか」
というような事を言われて、
「いや今までも十分幸せだったけどね」と言い返しつつふと気付いたのである。


まるで私がかわいそうで恵まれなかった子みたいじゃーん、って思いつつ、
あれ、ひょっとして私はある面では多分にそういう人生だったんじゃないか、って。
その事実に真正面から向かい合う事が出来なくて、自分はずっとしあわせだと信じ続けていたのかもしれない、とも思ったわけだ。

とは言え自分が非常に恵まれた環境に置かれていて、色々なものも与えられてしあわせに生きてきたという事も、もちろん疑いのない事実だ。

でも「幸せな私」の裏側に常にぴったりと張り付いていた違和感があった。
「こんなに幸せなのに一体私は何をこれ以上求めてるんだろう」という思いが、14歳くらいからずっと私を悩ませ迷走させていた。
そしてそこから解放され始めたのが、25歳くらいだったんじゃないかと思う。


旦那さんと出会って底が抜けるほどの充足感を手に入れて、仕事も大変だけどやりがいがあって、結婚して子どもまで授かった。
で常々「私みたいなろくでもない人生を歩んできた人間がこんな幸せ手に入れていいのか悶々」とも思っていたのだけど。
彼の言う通り「私の番」が来たと考えればいいのかな。

やっぱり、私達3人の娘達は母親の影響を色濃く受けているのだなあ、と思う。
その影響の発露の仕方そのものは娘たちそれぞれの性格を反映して異なってはいるけれど、根っこにあるものは結局のところ同じなのだろうな。


「私は幸せになりたい(だけど私は幸せになれない/或いはなる資格はない)」


かくも母と娘は強く深くつながっている。
それ自体は必要で、良い事だと思う。
ただ重要なのは、自分がどのように母の影響を受けているかを「正しく」把握する事だと思う。
どんな娘でもある程度の年齢になればその事実を自覚するようになる。でもその事実を「正確に」分析するのは非常に困難だ。


「こうであってほしい」という願望、ある種の責任転嫁。
深層心理下における、自分から母への正と負両方の思いと願望が事実の把握をねじ曲げる。
母と自分の関係性のストーリーを、無意識下の自分にとって都合の良いように作り上げてしまう。
結果、見当外れに母を責めたり自分を責めたりする。

結論言うと、私は自分のお母さんの事を何も責めてないし、基本的に自分に起こった出来事は全て自己責任だ。
だけど、母が私に繰り返し伝えてきたメッセージ抜きに私は自分を語れない。
受容したにせよ、反発したにせよ、結局のところ私は母のメッセージをトリガーに価値観を形成してきたのだから。


それは、やっぱり、父でも歴代彼氏でも友達でも教師でも好きな作家でもアーティストでも、鈴木亜美でさえもなくて、母親なんだよな。きっと、たぶん。

で、25歳からの私は、ようやく母からひとりだち出来たって事かなぁ。自分で立つ事を覚えたから、惑わなくなったのかな。

私が自己啓発本嫌いなのは、自分の足で立たずに他人の言葉に寄りかかって生きることに本当の救いはないと思っているから。
誰でもその人自身の中に答えがあるはずなのに、それを探す前に、他人の出した(その人にしか効かない)薬をとりあえず飲んで、対症療法で治癒した気になってるだけって感じがするんだ。

という訳で、今の私は、自分用にカスタマイズされた専用薬を自分の中に発見して、あ〜なんかめっちゃラクになったわ〜いいんかな〜みたいな感じな気がする。
でもまだ、どうやってその薬を見つける事が出来たのかは正確にはわかってない。


そこを解明するのが残された課題な気がしている。なう。


なんて事を、ミナミ氏に久し振りに会って思ったわけですよ。

14年も会ってないと、懐かしいとか通り越してもう、訳分かんないですね。他人ですね。
顔も記憶とぜんぜん違ったし、
当時私たちがどんな会話をしてどんな風に遊んでたのかなんてほぼ覚えてないし
(だいたい13歳と18歳の間にいったいどんな会話が成り立っていたのだろうか?)、
彼が私の何を好きで、私が彼の何を好きだったのかもすっかり忘却の彼方。


何しろ彼は、私が鈴木亜美ファンであることを知らないのだ!
14年前に亜美ちゃんはデビューしてないからね!
そんな人、私の周囲には今は一人もいない。


が、そんな状態で会って話をしているうちに、
何となくだけど、自分が彼のどういうところを好ましく思っていたのかが再発見されたような感覚があった。
他者のどういうところを好きになるかっていうのは、何年経ってもその根源は変化しないもんなのかもしれない。



それにしても、何となく彼は不幸な人生を歩んでいると想像していたので(超失礼)、
とても人生を楽しんでいそうな感じで、それは良かったと思います。
たぶん彼に対して色々と恨みつらみ(笑)があったがために、
「てめえなんざ不幸になってやがれこんちくしょう!」みたいな無意識も働いてたのかもしれない(笑)。
でも普通に、幸せそうなんで、ごく単純に良かったなーと思いました。



ま、そういう訳でですね。
最初は特に何の前予想もなく、単純な好奇心で会っただけだったんですが、
実際会ってみると色んな事実を発見したり、再確認したりしたので、
書き留めておきたかった次第です。